2008年 7月 25日  02:04 pm GMT+7
TAT
Emporium Shopping Complex


 チャオプラヤ−河デルタは、シャム湾の海岸線から内陸に向かって半円を描いて広がっている。これまでブリ−への入り口として叙述してきた景観は、その内でも海岸に近い新デルタのそれに相当する。新デルタは、古デルタに対比される言葉であり、数千年前に堆積を開始し、未だに進行中のデルタである。特徴的景観としては、沿岸部湿地、氾濫原などがあり、総じて低地で、起伏は乏しく、平坦である。チャオプラヤ−河新デルタの標高は海抜1−2.5m以下とされている。
 古デルタは、数万年前に堆積を完了して、今は完全に陸地化している。チャオプラヤ−河の場合、古デルタの標高は氾濫原のそれより4−5m高い。古デルタは平坦な低地ではなく、起伏に富んでいる。
 下図はチャオプラヤ−河下流域の区分を表したものである。水色の部分が新デルタ。その中でBと表記されているのは、バンコクである。その西上の黄色の部分が旧デルタで、下辺のAはアユタヤ−、上辺のCはチャイナ−トである。紺は河と氾濫原で、緑が扇状地と段丘複合であり、東西には茶色の山岳地帯が続く。

 以前に私たちはブリ−の分布図を見た。それは半径60kの半円形でバンコクを中心に広がっていた。その分布図と上の図とを重ねて見ると、ブリ−と呼ばれる古都はどこも古デルタか、新デルタを縁取る扇状地・段丘複合地帯に立地していることが分かる。
 シャム湾に注ぐチャオプラヤ−水系から、一つの河を選んで見よう。そして、その河をさかのぼり、古都ブリ−にいたって見よう。チャオプラヤ−河本流はやめて置こう。チャオプラヤ−河古デルタの突端には、近世の港市アユタヤがのさばっている。ここから以南には、古代の遺跡は発見されていない河筋の歴史の話は別にゆずるとしても、ここでわざわざ新デルタの泥海をさかのぼる必要はないであろう。
 まずは古そうな流れからいこう。チャオプラヤ−河流域で最も古くから人類が住んだとされるのは西の山岳地帯である。テナセリウム山脈からカンチャナブリ−に流れ出すメクロン河はデルタの西端の扇状地・段丘複合地帯を西岸にして、東岸にチャオプラヤ−河新デルタを望みながら、シャム湾の西北隅に注いでいる。流れも川幅も安定した美しい河である。この河がいい。この河をたどって見よう。この中流には、6世紀からの古代都市ラ−ブリ−もあるではないか。


 メクロンがシャム湾に注ぐ口には、大きな砂丘がある。英語ではバンクと呼ばれる砂州は、どの河の口をも埋めており、近世の航海者たちは誰も必ずバンクについて一言述べている。メクロン河のバンクは、チャオプラヤ−の柔らかい泥とは違って、砂の割合の多い硬めのバンクである。チャオプラヤ−河口やタ−チン河口のバンクはくるぶしまで、時には膝まで泥につかることなしには歩けないがメクロン河のバンクは干潮時には足の裏を汚すことなく駆けることの出来る砂地である。
 今日、このバンクはド−ン・ホ−イ・ロ−ド(まて貝の丘)と呼ばれている。3月から9月のシ−ズンに見られる大きな干潟では、歩いたり、又はスイタを操って貝をとる漁師たちの姿が見られる。最近では潮干狩りは都会人の間で「健康的なリクリエ−ション」として人気が高まっているが、これも砂の多いバンクならではの話であろう。
 バンクはかつてシャム湾から古都ラ−ブリ−を目指す人々の目印であった。チャオプラヤ−河では河筋を掘削し、堀土を盛り上げたから、時にはバンクはうず高く盛り上がっていたこともあったろう。所詮は潮の満ち引きで崩れる定めにあるのだが・・
 メクロン河口で河筋を堀り、バンクを積み上げたという話は残っていない。船から見えると



すれば、よっぽどの航海熟練者か、目の良い人であろう。メクロンの砂州は広く浅く広がっている。その最も高い地点でも満潮時には泥海の下に隠れてしまうのだが、潮を待っていた船人たちは潮が変わると、寄せる潮に乗って河口に入っていく。まだバンクが泥海の下に隠れる前に・・・
 このバンクを避けて船を進める先に、メクロンの川筋が開ける。これは誰もが知っていた河上りの入り口であった。

 メ−クロン河畔には、今日でもマングロ−ブ林が豊かに残っている。沿岸地帯に残るオオバヒルギやヒルギモドキの林には、マングロ−ブ猿が群れていることは既述した。沿岸からそれて内陸に入ると、切られたマングロ−ブ林が目だつ。マングロ−ブは木炭の主要な原料であり、住宅を建てる際の杭にも使われる。汽水地帯の移動する岸辺の泥上に建てられた杭上家屋には、この材が使われている1970年代頃からバンコク近郷に建て始まった造成地での「文化住宅」建設にも、モクマオウ樹と並んで真っ直ぐなマングロ−ブ類も使われたと聞いているが、それは古代の河をたどる私たちには関わりのないことだ。
 マングロ−ブ林が浸食されているのは事実である。6世紀に新デルタの奈辺までが海であったのかは知らないが、海の際にはマングロ−ブがぎっしり繁っていた。メクロン河畔ではその茂みは沿岸地帯には比較的豊かに残っているが、一足内陸に踏み込むと人間による破壊の跡は明らかである。

 タ−チン河からメクロン河に出る鉄道がある。「シャレ−ブ波止場」駅からメクロン川辺のメクロン駅まで走る短い鉄道はおよそ30・あまりの距離を55分で走る。この鉄道に乗ればマングロ−ブが見れるという期待は裏切られる。古代から19世紀まで人間の手がつかないままに残されていたマングロ−ブは、この鉄道が敷かれた頃に伐採されてしまったのであろう。というより、マングロ−ブを破壊する人間の営みの成功の為にこの鉄道が敷かれたのであっ

た。青い空に白い雲が浮かんでいる。ひろびろとした空間に塩田が続く中に、新しく植樹したのであろう、背丈の揃ったマングロ−ブ林のパッチが点在している。放置されたままに荒れた深堀りの池は、もっと新しい破壊の跡。20年ほど前の大狂乱時代に乱造された海老養殖池であろう。
 マングロ−ブが豊かに残るメクロンの河筋に戻ろう。緑の葉刃を空に向かってつき立てたニッパ椰子の茂みも続いている。この茂みの背後には、汽水湿地帯がある。湿地にはい草や葦が生え、蛍が宿る。

 メクロン河河口の岸辺に宿る蛍は有名である。日本に育った者は、ホタルと言えばぼうっと光る大きな源氏とチカチカ点滅する平家蛍という区別に慣れているが、それに従えばメクロンの蛍は平家である。雌を呼ぶ為に雄が光を点滅させるのだそうだ。汽水の蛍は平家と断定する知識は私にはないが、マラッカ海峡沿いの河口で見た蛍も平家であった。
 それは大宣伝に釣られて行って見た旅であったが、わざわざマレ−シアまで行く必要はない。
 セランゴ−ルのマハラジャが保護している蛍園の手漕ぎ船も情緒があるが、メクロン河口には、セランゴ−ルの何倍かの数の蛍がランプ−(ホソバヤマプシキ)というマングロ−ブ樹を宿にして棲んでいる。ホタルはマングロ−ブの葉を食べる訳ではないから、「なぜランプ−なのか?」という疑問が残る蛍を見に夜のメクロン河を行くと、時たま草むらに点滅するホタルの大集落を見つけることもあるのだ。
 蛍は人里近くに、人間の生活用水に棲むと聞く。マングロ−ブやニッパ椰子が健在で、背後の汽水湿地がたっぷりと湛水していた昔、群れなす蚊たちや口開けて待つ鰐たちにもめげず、敢えてこの地域に入ってきたのは、汽水地帯の「森の幸、海の幸」を求めた漁師たちや木こり、炭焼きだった。そんな彼らの季節的な移動集落はマングロ−ブの茂みを離れた水辺であったろう。ニッパヤシで葺いた屋根上に垂れるランプ−樹の枝にホタルが光る。あそこにも、ここにも。満潮が夜と重なれば、真っ暗な闇を縫って、シャム湾から入る船もあるだろう。
 ホタルはどんなに多勢が群がっていても、その光は小さいから、10mほど近づかないと肉眼には入らない。古代人の視力は優れていたとして、2.5から3。20m先の蛍の点滅は見えるとしよう。
 闇の中をゆっくりと漕いでメクロン河を上って行く船の行く手に広がる蛍たちの祭り。
船上からそれを眺めて、故郷の人たちを思う旅人の頭上の天空には、細い船形の3日月がかかっている。そんな静かな世界であったに違いない。古代のメクロン河の汽水地帯は。

  つづく
レヌカー・M





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