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チャオ・サームプラヤー国立博物館
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| すぐ目の前に見える大きな仏頭は、初期に作られた ティミカラージ寺院の遺品である。四角い顔、薄い唇、
髪と額の間の帯状の飾りなど、クメール美術の特徴 を示している。その他にも、クメール風の髪飾りや王 冠をつけた仏像が多数アユタヤの遺跡から出土して
いる。ラージャブラナ寺院の仏塔の中に収められて いた素晴らしい遺品の数々も、2階特別室で見るこ とができる。 |
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チャイ・ワタナラーム寺
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| 17世紀にプラサートーン王が建てた大伽藍で、戦う アユタヤの象徴とされている。仏塔を中心に小塔を
配置し回廊を巡らした伽藍は、王のアンコール遠征 後に建てられた。モデルが13世紀のアンコール・ト ムのバヨン寺院であることから、それ以前の山岳寺
院をモデルにしている初期アユタヤのクメール風建 築とは趣を異にする。 |
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シー・サンペット寺
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| ウートン王はアユタヤ建国当時、現在のブタイサワン 寺敷地からこの地に王宮を築いたことになっている。
のち、トライローカナート王はこの王宮を移し、この地 に王宮寺院を築いた。王宮寺院は「誓いの水」の儀 式などに使われた。1492年にラーマティボディー2
世は父トライローカナート王と兄ボロム・ラーチャティ ラート王のために仏塔(東塔と中央塔)を建てた。続 いて1500年に仏殿を造り、中に八尋の仏立像を建
立し金で覆った。この金仏はシー・サンペットと呼ば れ、そこからこの寺の名が出た。西の仏塔はラーチ ャティラート4世がラーマティボディー2世の遺骨を
納めるために作ったものである。境内の仏塔はそれ ぞれ王族たちの遺灰を納めるためのものである。 王朝年代記によれば、当寺院はプラサートーン王の
治世とボロムコート王の治世と、2回も修復されている。 |
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| モンコン・ボピット仏殿 |
| ドヴァラヴァティーの影響を 残した大仏を |
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| 安置している。 アユタヤの初期より戦火をく ぐって今日まで残る大仏は、
大東亜戦争後まで屋根なしの露座の大仏であった。モ ンコン(吉兆)という名の示す如く、おめでたい仏様との 信仰があり、古都アユタヤを訪れる人は必ずといって良
いほどこの仏様に参詣する。 |
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