2008年 8月 21日  01:18 am GMT+7
TAT
Boon Rawd Brewery Co., Ltd.


  アユタヤは港市国家です。チャオプラヤー川下流デルタの三角州に築かれた都は、14世紀 半ばから18世紀半ばビルマに滅ぼされるまで約400年も存続し、東南アジア一の大貿易中 心地として栄えました。1767年の陥落の後、トンブリーを経てバンコクに都が築かれますが、 その建設にあたり、バンコクの王たちはアユタヤの栄華を再現しようと新都を建設しました。で すからアユタヤは今日のバンコクのモデルとも言えるのです。

  アユタヤはクメール文化が強い影響を及ぼす中で建てられた都です。かつてチャオプラヤー 川下流にはモン人が住んでいました。彼らの残した文化はドヴァラヴァディーと呼ばれ、目も 顔も丸い仏像が特徴的です。モン文化は10世紀になると西進してくるクメール帝国とその文 明の影響を受けます。クメールの衰退する14世紀、チャオプラヤー川に建国されたアユタヤ の都の初期の遺品を見てみますと、ドヴァラヴァティーの文化を土台に、強いクメールの影響 が現れています。
クメール文明では、王は絶対なる権力を持ち、その象徴として宇宙の中心であるスメル山と 見立てた寺院を建てました。アンコール・ワットもこうした山岳寺院の一つです。クメールの影 響の強かったアユタヤでも、14世紀から15世紀の初期の王たちは宇宙の中心と見立てた仏 塔を建てました。マハタート寺院、ラージャ・ブラナ寺院、プラ・ラーム寺院など、どれも伽藍の 中心に大きな高い塔がそびえている配置になっています。初期のアユタヤの寺院がクメール と違うのは、塔の形は似ているが、少し細身の流線型になっていることです。タイの人は「とう もろこし型仏塔」と呼んでいます。また、クメールではこうした塔は礼拝堂でしたが、アユタヤ のとうもろこし型塔は舎利を納めた仏塔です。

  小王国アユタヤは、北南との戦争と貿易の両方によって国の富を増やします。チャオプラヤー 川の下流に位置するその戦略的な地点を生かして、上流の生産物を集め、シャム湾から上 がってくる外国船に売りました。アユタヤの王たちは商業を外国商人たちにまかせました。こ うした商人たちはアユタヤの島の周辺に集落を作って住んでいました。今日まで跡の残る日 本人町とポルトガル人町以外にも、イギリス、フランス、中国、オランダ等、様々な民族がアユ タヤに集まりました。もともと13世紀の建国以前からアユタヤの島の対岸には南宋の難民が 住みついたようですが、繁栄する港市国家アユタヤの外国人町は、近隣の諸国の動乱や 西欧の植民地化により終われた人々の移住先ともなりました。ポルトガル人町は、17世紀オ ランダによってマラッカが陥落した際のポルトガル系難民を吸収しました。その後のマカッサ ル王国(インドネシア)の陥落の際に逃れた人々は、アユタヤの回教徒人口の中でも重要な 割合を占めています。



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